運命と宿命 – 神と人間 第6話
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【目次】
運命と宿命は宇宙の法則に従う
人の魂はこの地上にいくども生まれ変わります。魂の成長のため、そして人がいつか神の随伴者となる為です。
私たちを支配する法則とは、宇宙の法則です。その法則に宿る知性を私達は神と呼んでいます。
宇宙の法則の中で、私たちの人間の人生に大きく関係するのはカルマの法則と輪廻転生の法則です。
私達の人生、つまり運命とか宿命と呼ばれるものは、その二つの法則に大きく支配されています。
運命と宿命についてはどちらも似たようなシーンで使われる事が多い言葉ですがその言葉の意味には
大きな違いがあります。
運命
原因が同じであるならば結果も同じ、原因が決まっているならば結果も決まっているというのが運命論です。
そして私たちの人生を支配する超越的な力として使われる言葉でもあります。
魂の成長とカルマの返済課程にある今の我々は不完全な存在です。
私たちの魂は人間としてこの地上に生まれてくる時に、自分に欠けた部分を補うような学習のプランや、カルマを効率的に返済できるような人生のプランを組んで この地上世界に生まれてきます。
つまり、「運命」とは自分自身の魂が決めた今世の人生プランなのです。 忍耐の足りない人は、忍耐を養うためにろくでなしの伴侶と 添い遂げる人生プランのもとに生まれてくるかもしれません。
成長のためにより過酷な環境を選んで生まれてくる魂もあります。例えば障害者として生まれたり、不幸の星の下の元に生まれるなどです。運命は自分の魂が決めたプランですが、私たち自身の選択や行いによって先々の道筋はさまざまに変化していきます。魂のプランには数多の分岐があり、運命には選択の余地が残っています。
より良い行いでより良い結果を獲得していくなど私たちは自分の力で運命を切り開いていくことができます。
宿命
運命は自分が法則に従う形で決めているプランであるという事と比べると、宿命は宇宙の法則の避けられない作用そのものであると言えます。例えば人に宿るカルマの中でも特に強い拘束力をもつものは、人がこれに抗う事は不可能に近いです。
宿命は人を殺した人が殺されるなどカルマの発動そのものであるからです。
運命は人の人生全体のプランでしたが、宿命は解消すべきカルマであったり、果たすべき使命であり、魂が人生のプランを組み立てる上での目的でよりコアなテーマであったりキーワードとなっているものです。
運命とことなり、宿命の場合は死の時期さえも決められている場合があります。 もちろん良い宿命というものも存在します。
例えば幾度もの生まれ変わりで、神の道を歩み、徳を積み、霊性を高めてきた人が、その結果として今世では師となり人々を導く宿命を背負って生まれてくるという場合もあるわけです。
「ならば運命は決められた範囲でしか変えられないのでしょうか?」
「宿命は全く抗えないものなのでしょうか?」
答えは否です。
自由意志
運命や宿命は変えられます♪
それはもちろん、簡単に変えられるものではありませんが、私達人間の魂は神から別れ生まれ出た光りなので、神と同じく創造する力を持っています。私達人間に与えられた最も偉大な神と同じ力です。
一つの例を話します。
ある人が過去の人生で憎んだ女の息子として生まれてきます。憎しみのカルマを解消するためです。
ですがその息子の方はいつまでたっても母親を憎み続けて居ました。
ある日母親は病に倒れ入院します。
相変わらず母親を憎んでいた息子でしたが、ある日の夜、その母の病室を訪れます。
すると眠っていた母親が、突如苦痛で激しくもだえはじめます。
息子は悩みます、ここで黙って病室を去れば、この憎い母親は死ぬかもしれない、そうすれば 生涯顔を合わせずにすむようになるのだから。
しかし息子は母親が苦しんでいる事をその病院の者に知らせました。
それは葛藤の末での結論です。
その病院から帰宅する途中に息子は不運にも事故に巻き込まれます。
ですがとても軽い怪我で済んだのです。
事の説明ですが、憎しみを精算する為の二人の関係は、息子が母親の命を救うことで憎しみを超えカルマを消化したのです。
もし母親を見殺しにしてたら、今世での大事な目的が果たせなかった事になります。
その場合は帰りの交通事故で命を落とす予定でした。
そして来世はまたその母親のもとに生まれ、息子として同じ課題を 繰り返したかも知れません。
ですがこの人生で憎しみとカルマを越えた息子は、一つの分岐点で命を失わずにすむ選択をして、残りの人生を魂のさらなる発展に役立てたのです。
つまり運命は変えられたのです。 これは宿命の場合も同じです。
もし息子が病室を訪れた時点までの経緯で、母親を救うべく病院の人間に伝えるという行動が取れない状態、つまり救済のフラグが立っていなかった場合でも、可能性が0であった場合でも、その瞬間の想いの力、そして人間の自由意志は時に状況を凌駕する力を発揮する事が有ります。
カルマの法則の時に神の慈悲の法則についても説明しましたが、私たちの行いや選択は未来を変える事ができるのです。
もちろんとても抗えないような強い宿命や決められた未来はあるでしょう。
しかしそれを変えられる可能性は決して0では無いのです。
それを可能にするのが、正しい想いと正しい行いです。
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