天使と悪魔と想念体
【目次】
想念エネルギーが作り出す霊的存在
守護霊、妖精、ドラゴン、ハイヤーセルフ、パワーアニマル、言葉や存在はなんであれ、人の想念エネルギーは幽界(アストラル界)にあらゆるレプリカ(想念体)を作り出しています。人間の感情や想念のエネルギーが霊的な生命体を作り出すというのは、驚くべき話しのように思えるかも知れませんが、私たち人間の魂は小さくとも神から生み出された神と同じ性質の存在です。つまり神から頂いた創造の力に他ならないのです。
この力によって作り出された霊的な存在で、私たちが良く聞き知るものがあります。
それは生き霊です。自らの霊を分ける、「分霊」とも呼ばれている力です。スピリチュアルというよりはもはや魔術的な話しですね。
ここでは人が霊的な存在を生み出すプロセスを、天使と悪魔のレプリカを例に説明をしようと思います。
天使と悪魔のレプリカ(想念体)
たまに、天使の声が聞こえるとか、見えるという人が居ます。
実は天使の本当の姿や形、つまり天使という存在の真実は、今一般的に言われているようなものとは少し異なります。
故に天使が見えるとか天使の声が聞こえる、チャネリングしているとか、自分は天使だなどと語る人に、以前の私はずっと疑問を持っていました。
「一体何をさして天使と感じたり、あるいは接触しているのだろう?」
もちろん偽霊能者や偽チャネラー、妄想家や創作家のような、嘘偽りを口にしている人もたくさんいます。 実際に霊的な力があっても幽界に存在するふざけた霊に騙されている人も居ます。 しかし、ごくたまにですが、そういった偽りではなく、どうやらこの人は本当に何かと接触しているようだ?と思えるような人が居ます。
さて、ここからたとえ話です。
天使との出会いを強く願う少女が居たとします。 その少女の「天使と出会いたい」といった想念は、やがて具現化しはじめると エネルギーの塊となります。
願いが込められるたびにそのエネルギーはより大きさと具体性を増します。
やがてそれは想念体となって、具現化されたエネルギーは目には見えずともそこに存在 し始めて、その想念体は大きさに応じて思考を持ち、活動しはじめます。
少女は徐々に、見えないその想念体の気配や存在を感じ始め、天使が身近に来ている と錯覚するのです。
そして少女は見えずともそこで気配を放つその天使(実際には自分で創った想念体) とコミュニケーションを取りたいと思い始めます。
この天使の姿をした想念体は、少女の願望に応え自分の知性と力の範囲で少女の願望に応えようとします。 この時もし少女が出会いたいと願った天使が大天使ミカエルであったら、この想念体は少女がイメージする大天使ミカエルの姿や雰囲気をもつでしょう。
そしてこの少女が天使の事などすっかり忘れて、ふつうの人生を歩んだとしても、 この天使のレプリカは生き続け、創造された目的(天使と出会いたい願い)を遂行 するために、消えるまで働き続けます。
もしこの少女の願いが純粋な信仰や愛であったなら、この想念体は天使の力を鏡のように反射します。
それはつまり、天使的なエネルギー、『天使的な想念体』 と言えるものです。
この少女が天使と出会いたいという願いが不純であった場合は生み出された想念体も不純です。天使の革をかぶった『欲望的想念体』という事になります。
悪魔に出会いたい少年が居たとしたら、その少年の想念が作り出すのはもちろん悪魔的想念体です。
天使同じケースを悪魔に置き換えて考えてみてください。
殺人者が自分の内から「殺せ」悪魔のような声が聞こえたなんて話、聞いたことありますが、 さて、その声は誰の声だったのか?
自分の作り出した悪魔的想念体の声であれば、それはつまり、自分の声とある意味同じです。
想念体がエネルギーを自給自足しはじめる
小さな想念エネルギーと思考であれば、いつしか消えます。
生み出された想念体はエネルギーの供給源があったり、自給自足のサイクルに入ると相反するエネルギーに消されるなどしない限り存在し続けます。
例えば私が家を守らせてる『天使的想念体』は私が思い出すたび、つまり毎日祈ってエネルギーを与えているので存在し続けています。
純粋な心で天使との繋がりを求めたならば、それによって生み出された天使のレプリカは、本物の大天使から、直にエネルギーを受け自給自足し始めます。 そうなれば私の祈り無くしても天使的な想念体は存在し続けます。
過去の偉大な魔術師はこの力を利用して土着信仰の神や天使さえ創り出しました。
守護霊、妖精、ドラゴン、ハイヤーセルフ、パワーアニマル、言葉や存在はなんであれ、人の想念体はこの幽界(アストラル界)にあらゆるレプリカを作り出しています。
いつもありがとうございます。
レプリカのお話、とても参考になりました。違和感があって、なんだかしっくりこないなぁ・・とモヤモヤする人やサイトがたくさんありますが、それはレプリカなのかもしれませんね。しっくりくるものは、なんとなくさっぱりしていて、明るい気持ちになります。
私が大切にしている龍が掘られている水晶ですが、なんだか前よりも存在感が出てきました。。
それがなんなのかは、私の心次第っていうことですね。それを考えてみましたが、自分の心の真実は、自分ではわからないですね。
いつかわかりますように・・と思いました。