神に至る道を本当に志したなら、どんな人間でも、いつかは宗教や思想を超える時が来ます。

私は宗教家ではないです。
信じている宗教や固有の神があるわけではなく、ただこの宇宙の構造と法則を探り、神へと近づこうとしている者です。いかなる宗教や団体にも属していません。

宗教に関しては庭さきでほとんど触れられることは無いです。
ただ必要なことはここに少しだけ書いておこうと思います。

ここまで順に読み進めていただけたなら、宗教についていくつか気づくことがあるかと思います。
「自分で感じて考える、自分で決める」「神を師とする」まずこの二つを原則にしたのであれば、宗教は神へ至る道に決して必要不可欠なのもではないということです。

宗教やあるいはその宗教に属する人間の中に自分にとっての良き導き手が存在するのであれば、宗教に属するということに意味もあるかと思います。
その場合も深くよく考えてみたなら、自分にとって必要なのは、導き手であって宗教そのものではないことに気づくかと思います。

宗教そのものより、かかわる人間が大切

例えば、キリスト教の人間すべてが素晴らしい人間というわけではありませんし、仏教の人間すべてがもと晴らし人間というわけでもないです。
逆を言えばどんな宗教に属していようと素晴らしい人間は素晴らしいのです♪

ですから私は、キリストの思想も仏陀の思想もその他さまざまな聖人や聖者と呼ばれるような人たちのことはなんでも勉強しました。

宗教の位置づけとは、ある意味学校のようなものであると思います。

人は幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、さまざまな教育機関で学びます。
人は生まれ変わりを繰り返しますから、その時の自分の段階にあわせて、この地上でさまざまな経験をし、学びます。
人がいずれ学校での学びを終え、社会に出て一人で生きていかなければならないように、今宗教に関わる人たちも、いずれは宗教を超えて自分一人で神を探求していかなければならない日が来ます。

これは宗教を批判するものではありませんし、無論、価値を低めるために書いてるものでもありません。宗教という学校の中には、子供を正しく教育するための大人の教師も(霊性の高い人など)もちろん居ることでしょう。

キリストも釈迦も自分で考え自分で行動し、その行いが立派だったから人々は彼らの思想や教えを学んだのです。
もし私たちが彼らのように神へと至ることを生きる目的とするならば、彼らのように生きなければなりません。

それがつまり、宗教を超えるという事です♪

オマケ

世の中にはたくさん宗教がありますが、中には完全に悪質な宗教も存在します。
世の中には、神や神の使いのような顔をして人をだましたり陥れようとする人たちもたくさんいます。キリストも言ってます、「偽預言者」にだまされるなと。

神の名を語る人間やその一部の側近のために信者の大半が犠牲になるような宗教は間違いなくおかしいです。信者の競争心をあおったり、必要以上の金品を要求したり、あるいはそのように誘導するやり方もです。

宗教だけではありません、スピリチュアルな分野で指導者やマスターと呼ばれるような人たちの中にも一見善良に見えても善意で働いていない人はたくさんいます。

今の時代、たくさんの人が、人間のありかたや自分の生き方や使命を模索しています。

そんな心につけ込まれないように本物と偽物を見分けてください。
よく観察すればその人間の本質がなんであるか、必ず分かりますよ。



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