「私を信じる者の内に私は在る」

ある朝夢を見ました。
カーニバルというかパレードというか、漆黒の暗闇をかいくぐった先に喜びの朝が訪れるようなそんな夢です。
そして驚くことに一週間近く祭りやパレード、祝福の鐘や花びら舞う人々の喜びと笑顔の溢れるそんな様子を夢に見続けました。
あれほど来ていた霊もさほどの数ではなくなり日に日に減っていくのを感じました。

「魔境」が終わったと感じたころ、母も僕もぐったりと疲れ果てていました。
そして二人して身体の回復のための瞑想をしていたときのことです。
天から光りとエネルギーが降り注ぐのを感じました。
目を瞑っていて瞑想しているにもかかわらず、僕の目には部屋の風景や差し込む光りが見えていました。人は肉体の目によってのみ見るのではないと実感した出来事でした。

やがて背後にふっと人の気配を感じました、それは人と言うよりはもっと神々しい存在感でした、まるで天使のような。
その存在は僕を包み込むように重なってきました。
僕にはその存在の正体が直感で分かりました、キリストです。
僕はキリスト教ではありませんがキリスト個人を敬愛し生き方や思想の手本にしていました。
とても驚くべき速度で肉体と霊が癒されるのを感じました、これほどのエネルギーを感じたのは生まれて初めての体験でした。
この文章をよんで、それは本当にキリストだったのか?
そう思う人も居ることでしょう。僕自身も当時思いました。

自分ごときの所にキリストが現れるなどということがあるものなのだろうか?

アカシックレコードによればキリストの再臨は1998年以降、言葉の中身を解釈すれば生まれ変わるというよりは霊的な存在としてこの地球に戻ってくるといった感じです。
自分のもとに訪れたのはまぎれもなくキリストです。
ですがそれは特別なことではなく、きっと同等の体験をした人や、キリストの存在を身近に感じることが出来た人は世界に沢山いたと思います。時間や場所にかかわらず。

それは天使のような存在と同じで、身近に来られても気づかなかった
人も多かったのではないかと思います。
瞑想開始から7年。「魔境」を経て、キリストを感じることが出来たとき
僕の人生の中で1つの時期と段階が終えたのだと感じました。
これは僕を真理の探求へと向かわせ、心を勇気づける出来事でした。

神は無限の愛を持っていて、心清い愛に満ちた存在たちは、いつでも人間を見守っている。
僕のような者にさえこのように慈悲が訪れたのですから。

2009年 3月 追記
たまに夢や体外離脱の体験の中で、高次の存在と出会うことがあります。
霊体で現れる宇宙人と出会うこともあります。
こういった体験の中でいつも驚くのは、相手の存在に気づいたときには相手の正体をすでに知っているということです。それが初めて出会う存在であったとしても。
私が言っているこのような感覚は、おそらく高次の認識や体験を持つ人にしか分かいことだと思います。このキリストを感じたときもそのような感覚でした。

ただ、時がたつにつれ、あのとき出会ったのは果たしてキリストであったのだろうか?
そんなことも考えるようになりました。
おもしろいことに、心を清めて愛を持って生きようと励んでいると、真実を追い求め客観的であろうと心がつとめる為、過去や自分の体験に執着することもなくなるのだなと思いました(笑)

今の私に分かることは、あのとき現れた存在は、すでに神と一体に至った存在であるということです。その存在が人間であったころ、何者であったかは分かりません。
ただ言えるのは、神と一体に至った魂とは、つまり神であり、キリストであり、神へと至ったほかのすべての存在であり、それらは一体であるということです。
そしてその存在とエネルギーを、私は自分が知る完成された魂、つまりキリストという存在として感じたのだということです。



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