霊的な迷いや苦しみの段階


瞑想を長く続け、僕はとても苦しく身を危うくする時期がありました。
以前、瞑想に関する本を読んだときに、このような苦しみや混乱に満ちた1つの段階として「魔境」という言葉があるのを知りました。
魔境とは、瞑想を通じて幻覚や霊的な体験をする段階のことですが、それが現実に発露したとき、人は様々な経験をします。

輪廻をくりかえす人の魂には年齢があります。
ですから、だれもが瞑想や霊的な生き方を通じてこのような体験をする訳ではありませんが多くの人がなんらかの形で「魔境」を経験します。
僕が体験をした1998年~1999年の終わりにかけて、目に見えない世界では大きな様々な変化がありました。そして多くの霊が明るみに出た時期でした。
たまたまそんな時期がかさなっただけかもしませんが、僕にとっての「魔境」とは、まさにこの時期をおいてほかには無いと思いますので書くことにしました。
これから瞑想を通じ自己と神を知ろうとしてる人たちはだれもが同じとは思いませんが、それをもとめることで訪れる、痛みや苦しみも中にはあることも肝に銘じてください。

■魔境
瞑想歴6年、丁度1999年、瞑想の様々な成果が現れ、中でも霊にかかわることは僕の予想をはるかに超えた状態で身に降りかかった。
毎日毎日どこから来るのか?
神に至るまでの道で、瞑想を行う者の1つの段階として、悪魔の責め苦や誘惑と戦う段階があります。多くの聖人たちが、様々な形でこの段階を経験しています。
キリストは荒れ野で40日断食をし、悪魔の誘惑にあいました。
そのころの僕は、瞑想のときに太陽のようにまぶしい光りを見ました。
その光りに照らされ明るみに出た存在たちも同じように見ました。
光りに照らされて明るみに姿を現したその存在たちは、この世の人たちではないことに気がつきました。
目をつむればいつも視線を感じました。
ときとしてそれは、それも何十人という数に及びました。
祈れば消えていくその視線と存在たち、またしばらくすればまた新たな存在たちに取り囲まれる。
毎日毎日霊にかかわる日々、外に出れば何かに寄りつかれ、寝ていれば何かに寄りつかれ。

瞑想によって手に入れた健康、高まった霊性によって見えていた美しい光りやビジョン。
それらはまったく表から姿を消しました。

睡眠時に見る夢と言えば戦う夢、追われる夢、汚いものをなすりつけられる夢、部屋に害虫があふれ出す夢。霊にかかわるほどに環境のエネルギーは汚れ、僕のエネルギーも汚れ、体は毎日疲れ果てたような状態でした。
私に寄りつく存在は、ひどいときは朝から晩まで、1日に100を超える日はざらでした。

1999年だからなのか?
これも1つの段階なのか?
僕のやり方が、生き方が間違っているのか?
父が死んだとき霊に敵意をもったことがいけなかったのか?
母に入り込んだ高次の霊の仕業か?

理由は分からないままに毎日毎日たくさんの霊にまとわりつかれました。
そして毎日毎日、祈りと瞑想によって霊たちを浄化し続けました。
この状態は、1年もの長きにわたり続きました。
父の死後からはじまり、徐々に増していったのです。

2009年 3月 追記

禅などで言われる「魔境」は、瞑想時に見える幻覚や、霊的な体験を指し示す言葉ですが、実際のところ「魔境」は瞑想を通して人生に発現します。

これは思いは実現するというこの宇宙の法則や私たちの本質がもつ力によってです。
魔境が人生に発現したときにはもはや幻覚ではありません。それは現実です。

魔境による現実とはつまり、ある種の精神病、誇大妄想、霊媒体質、前世の記憶、天使や女神などの想像に取り憑かれている人も、「魔境」が発現した現実の中にあると言えます。

瞑想をはじめると、霊的な力が強くなります。
人によって差はありますが、エネルギーが強まると、良いことも悪いことも力強く具現化させるようになります。
悪いものを引き寄せたり具現化しないように、瞑想に取り組む人は、日ごろから心を清めて愛をもって生きるように、そして瞑想時のまやかしや幻影に捕らわれないようにしましょう。

これは過去の聖人、聖者たちが共通で教えてきたことでもあります。



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